_ 神津カンナがまだちいちゃくて、天才少女扱いされていた頃、ある雑誌で彼女と天才おとなを引き会わせる対談企画があった。そのうちの一回が三島由紀夫で、彼は少女がいたく気に入ったらしく、穏やかにじぶんの秘密を打ち明ける。
「おじさんはね、もう見たいものはぜんぶ見てしまったんだ。だからもうすぐ死ぬんだよ」
自裁の直前のことである。
_ 見ることのできるもののうち、世界にあるものはほんの少しだ。
わたしたちが「見たい」と思い得るものはもう少し多い。
けれども、見たいとは思い得ぬもののなかにも、見るに足るものがある。むしろ見るべきものは、そちら側にあるようにさえ思われる。
求める者の前にはあらわれぬもの、あるいは経験になり得ない体験、そして一度も現在であったことのない思い出。単極の磁石のように、憶えることを経ずに忘れられていくこと。
もしくは、けっして起こらないということが、メッセージである出来事。
_ 心がなぜこれほどのものを埋蔵しているのか、わたしに報せるすべはあるのだろうか?
これまでのところ、わたしは(あるいは心は)失敗しているように思われる。思われるだけかもしれないが、仮に報せが届いたとしてもそれに内容がある必然性はなく、報せを受け取るのがこのわたしである保証もない。
(ここに置く的確な副詞がないが)このすべての構図。
価値などなく、美しくもなく、ただひたすらに玄妙な、上の空に懸かる星々。