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雪雪/醒めてみれば空耳

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2002-12-09 まだ回想されない冒険

_ (12月5日の二階堂奥歯さんの日記に対する反応として)

_ たとえばあなたはピエロちゃんと出会い、ともだちとなる。あるとき、よんどころない事情によりピエロちゃんはあなたの手を離れ、見知らぬ女の子にもらわれてゆく。その子はピエロちゃんを愛し、大切にする。

ピエロちゃんとの別離は悲しいにせよ、それでも彼が新しい家で愛されていてよかったと、あなたは思うだろうか?きっと思わないだろう。ピエロちゃんはちがう呼び名で呼ばれ、ちがう心とちがう好き嫌いとちがう習慣をもっている。それを同じ人と呼ぶことはできないだろう。

ぬいぐるみの物理的実体を、製作物=プロダクツと呼ぼう。あなたの許から見知らぬ女の子にピエロちゃんプロダクツ所有権が移動したとき、実質的に移動したものはなんだろう?それはピエロちゃん自身の移動ではなかった。それがピエロちゃん自身の移動なら、心や習慣もいっしょに移動しなければならない。

_ ぬいぐるみの生態はおよそ明確になっていない。プロダクツを観察しても、本質的なことはなにも詳らかにならないから。

ぼくもあなたも本が大好きで、物語を愛してしまう人だ。

物語をめぐって、ぬいぐるみと本のことを、すこし考えてみたい。

ぬいぐるみを愛する心と本を愛する心は、とても親しいが、決定的なちがいがある。それは、本は買い換えることができるが、ぬいぐるみはけっして買い換えることができないということだ。

大好きな本が貸したまま帰ってこないとき。大好きな本をなくしてしまったとき。大好きな本が傷んでばらばらになってしまったとき。ぼくたちは悲しむ。とても悲しみはするけれど、物語が失われてしまったとは思わない。本が破壊されても物語が破壊されたとは思わない。物語のほんとうの住処は、紙束のなかではないことを、ぼくたちは知っているからだ。

いつか思わぬ場所で、たとえば何気なく立ち寄った通りすがりの図書館で、あの懐かしい本を見つけたなら、ぼくたちは「あの本がこんなところにあるなんて!」と思う。あの大切な本そのものに再会したと思う。

でも、いつか思わぬ場所で、ピエロちゃんとおなじプロダクツに出会っても、あなたは「ピエロちゃん!こんなところにいたの!?」とは思わない。

本とぬいぐるみのちがいは、一般名と固有名になぞらえることができる。

ひとつの物語にとってプロダクツとしての本は、その物語に付けられた一般名である。

ひとつの物語にとってプロダクツとしてのぬいぐるみは、その物語に付けられた固有名である。

平積みされたおなじ本のなかから一冊を選ぶことと、陳列されたおなじぬいぐるみのなかから一体を選ぶことは、おなじことではない。

ぬいぐるみを選ぶことは、すでにどこかにいる物語に、たったひとつの真の名を与えることだ。

このとき、たとえばピエロちゃんという言葉は、「真の名」に付けられた「名」、ということになる。

_ ピエロちゃんプロダクツがあなたの前からいなくなったとき、できなくなってしまうことはなにか?

それは「呼ぶ」ことである。

たったひとつの真の名が失われてしまったからである。

しかし、あなたが捜し出そうとして、その困難さに打ちひしがれそうになっている「それ」は、ピエロちゃん自身ではない。世界中に散逸したプロダクツの切れ端それぞれが、彼自身の断片でありはしない。それは、彼を喚び出すすべの断片にすぎない。

そして、呼ばれるすべを失ったピエロちゃん自身は、いま、どこにいるのか?

_ 「あなたが忘れてしまうこと、それはピエロちゃんを殺すことだ」

ずっと以前ぼくはあなたにそう言った。その含意をまた繰り返さねばならない。

あなたは忘れていない。それがピエロちゃんそのものである。ピエロちゃんの心(あるいは名前以外の部分)が、そこ以外のどこにあるだろう?ピエロちゃんは死んでいない。

ただもはや、けっして呼ぶことができない。二度とあの名前をもってしては喚び出すことはできないのだ。

それはたとえ「いる」としても、彼岸に「いる」とおなじことだ。

そのようにしてしまったのはあなただから、慰みにもならない。

_ けれども、この絶望には希望があると思う。

あなたが、そんなことを希むか否かは別として、もしかすると彼に、あたらしい真の名を付けてあげることができるかもしれない。でも、これじたいかなり危険な冒険だと思うし、そういう魔法の使い方までは、ぼくの手に余る。それに、彼を損傷してしまうかもしれない。

ただ、もうひとつだけ、「もしかすると」と考えることを許してほしい。

ぼくはピエロちゃんのことを少しだけ知っている。そして彼はいままでどうしていたのかな?と考える。彼はあなたのそばにいる。そばにいるのにどうしても会えない。だから、なんとかして会おうとするだろうと思う。

もしもぼくがピエロちゃんだったら、たとえどんな手段を使っても会おうとするはずだ。

いちばん会いたい人に。

いちばん会いたい人だから。

_ ぬいぐるみにとって(真の)名前とはどういうものか?

たとえば、あなたがぬいぐるみなら、二階堂奥歯という名前(存在性)を得たとき、それ以前に使っていた名前は永遠に失われてしまう、ということだ。それはとても悲しいことだね。

彼はそれでも、あたらしい(真の)名前を探し求めるだろう。

たとえそれを得ることができたとしても、そのとき彼はもうピエロちゃんには見えないし、気付いてさえもらえないだろう。それはわかってる。それでも彼はあなたに会いにゆくだろう。

_ ピエロちゃんの冒険が、まだ続いているのか、それともひとまず終わっているのかは、ぼくにはわからないけれど、彼はいつかどこかで、あなたに、こう言える日を待っている。

「やっと、気付いてくれたんだー。でも、無理ないね。すっかり見違えちゃったでしょ?」

_ (ことによるとあなたは、すでに彼を捜す必要さえないのかもしれない。)