«前の日記(2002-11-30) 最新 次の日記(2002-12-04)» 編集

雪雪/醒めてみれば空耳

2002|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|10|11|
2005|02|04|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|11|
2013|05|06|07|09|10|11|12|
2014|01|03|04|06|08|09|10|
2015|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|
2016|01|03|04|06|07|08|09|11|12|

2002-12-02 行間の加筆と訂正

_ 男は私の書いた詩を2秒か3秒ぼんやりながめると、匂いを嗅いだり、なめたり、陽の光に透かしてから、「この字を書いてあるところだけが詩なのかい?」と聞くのだった。

(高橋源一郎 『さようなら、ギャングたち』)

.

_ おもしろい本というものは、そこに書かれていないことこそがおもしろい。

眼を上げて、字面以外のところを読んでいる時間が、長いほどおもしろい。

それがたとえば200ページの本なら、むくむくとふくれて300ページにもなるし500ページにもなる。読み返すたびに、またふくれる。

.

_ でかけようと思っていたのにあいにくの雨で、くるりと空振りした気分のときなどに、お気に入りの本を取り出してひさしぶりに読み返してみる。いままで見えなかった新しい行間が見えてくる。記憶にない愛読書に出会って、新鮮な感動を覚える。

これぞ豊かな読書体験というものだな、などと思う。

思ってはいるのだがしかし時には、

もはや以前のようには読むことができなくて、ひもじいと思うことがある。さもしかろうとも口惜しいと、焦がれるような思いをきたすことがある。

.

_ 大切に手許に置いてあっても、二度と読むことができない本が、何冊かある。そこに書かれていないことが、すっかり書き換えられてしまって、もうおなじ本じゃないのだ。

本のほうからすれば、察するところ「まえに読んでくれたあのひとに、また読まれてみたい」って思っているかもな。

.