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雪雪/醒めてみれば空耳

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2002-10-22  帰納する機械―その弊害

_ 母はsexがあまり好きではなかった。父は人並みだったと思う。人並みということはむろん「相当好きだ」ということである。

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中一のとき、友人Kが大部の医学書を学校に持ち込み、細部にわたって行き届いた講義を施してくれた。sexについての詳細を知ったのは、そのときが初めてである(おくてな時代だった)。Kは「貸してあげる」と言ったが、遠慮しておいた。なにしろその本は、ぼくの体重の八分の一はありそうだったから。

新鮮な知識を反芻しながらたどる家路で、ふいに、ばらばらだったものがひとつになった。ルールを了解してはじめてゲームの展開を理解するみたいに。

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母が眉を曇らせる話題のパターンや、「いやらしいんだから」と言って父を押しのけるときの声音。真夜中の不可解な物音や、意味不明のささやき。

ほのめかすような、くすぐったい謎と記憶が、ひとつになってふたつの(母と父の)像を結んだ。

おさない脳はときとして、「帰納する機械」となってはたらく。

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いまでも、ぼくのsexのなかには、母と父が棲んでいる。「つめたいsex」と「なまあたたかいsex」が境を接している。溶かれまいとする氷と溶きほぐそうとする炎は、いつも一進一退の攻防を繰り返している。ありふれた家庭内争議のようにドタバタと。

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年齢を重ねるうちに、自分の好みや仕草やにおいのなかに、父母の残像を嗅ぎつけることは誰にもあるだろう。それはあまずっぱい郷愁、あるいは苦々しいうらみとなって、子どもたちの心をひととき捕らえる。

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とは言ってもね、sexの最中ふとした拍子に、あなたがたの面影がよぎるのは、子ども孝行とは言えないと思うんだよ、母さん父さん。