_ 保坂和志の『小説の自由』は何回も読んだ。いちいち通読するわけではなくて適当なところを開いて読んでいると、書きたくなるか他の本を読みたくなるかもっと別のことをしたくなってくるからそれまで読む。保坂和志の小説よりもおもしろく、とは言ってもこの本じたい筋立てや登場人物や背景設定のない小説のようなもので、つまりは飽きる要素を払い落とした小説だから飽きない。飽きないのだからいつまでもこれを読んでいればいいものを、続きである『小説の誕生』が出たとあれば早く読みたいすぐ読みたい。それが欲望。そういうわけで街に行った。
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二日に言及した桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』が平積になっていたのでもう少し立読みする。後のほうでは、冒頭掴み取っていた文体の境位から後退しているように思う。冒頭部の骨格はきっと、種子になるフレーズか着想から勢いで仕立て上げたのだろう。得難い傑作という印象に変わりはない。
『小説の誕生』を買う。厚くなっている。うれしい。
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うろうろしているうちに谷川俊太郎『はだか』(筑摩書房)を見かけてしまう。
しまった。
これはいつ見てもすばらしい詩集で、よほど本が好きな人の中にも、この本こそが宝物と思っている人が少なからずいるんじゃないかと思う。
全編ひらがな。こども視点。むずかしい言葉もひねった言い回しもなく、ありふれたことしか書かれていない。考えたこともなかった斬新な発想や思索に不意を突かれるのではなくて、常々思い及ぶことばかりなのに、はっとする。なんではっとするのだ俺よ。内容が新鮮なのではなく、はっとしかたが新鮮だ。前にも読んでいるのに、やっぱりはっとするのである。
想いに任せたこどもごころの発露、という外見だがむしろ、技巧を凝らし切った、言葉を選び切った詩集だと思う。それだけに選び損なったなあと思わせる言葉の浮き方(「ぱんてぃ」とか)は尋常ではないが、それも愛嬌。
収められたどの詩の題材であっても、誰でも詩が書けるだろう。使われている言葉も言い回しも、誰でも使えるだろう。しかしおなじには書けない。
1988年刊で28刷。現代詩文庫あたりに入らないかなあと思いつつ、長いあいだ迷ったことになるが、とうとう踏ん切った。最近あちこちのブログでこの詩集の詩が引用されているのを見ていて、この詩集はでかい活字のゆったりした字組で読まないとちょっと力が落ちると感じていたからでもあるし、この本じゃなきゃ駄目! とまでは思っていなかったのが齢をとるごとに、やっぱ他の本では駄目みたいだなあと思われてきたからでもある。
絶賛しているがその実、『はだか』に匹敵するくらいすばらしい詩集はたくさんあるのであって、この本はむしろ超短編集としてみた場合に、より卓越した名作だと思う。
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自転車で帰りがけに横断歩道をよぎったとき、歩道で信号待ちしていた伊坂幸太郎さんと一瞬目が合う。知り合いではないので目が合っただけ。
そういえば、映画『アヒルと鴨のコインロッカー』の書店シーンは、ブックスなにわ塩釜店で撮ったらしい。かつての同僚も出演し、セリフがついた人もいるようである。
ロケハンに来たスタッフの言によると「大き過ぎず小さ過ぎず、背景に高い建物がなくて、夜は周囲が真っ暗になり、裏口らしい裏口がある」という条件を満たす店舗がなかなかなくて、塩釜店を見たとき「ここだ!」と思ったそうである。裏は海だからね。夜はそりゃもう真っ暗です。
『小説の自由』私も持ってます!<br>随分前に買ったのですが、まだ最後まで読めていません。<br>続編が出てるんですか?<br>最近読みたい本が山ほどあるのに、なかなかじっくり読む時間がなくてもどかしい思いをしています。
持ってますか!<br>『小説の自由』は小説を自由にしてあげるので、書く人や読む人は不自由になっちゃいます。<br>一筋縄でいかない本ですなあ。