追記

まっくらな星空

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2010-05-08 どこにも届かない

どこにも届けられない思いがこの世界に無数にあるということ、このことをとてつもないことだと感じる。
それらの思いを一括して受けとる存在がいると思えば、このざわついた気持ちはおさまるだろう。

届けたい相手に受けとってもらえないこともあるし、はなから誰にも届けるつもりがないこともある。届けたくても、できないこともある。 誰も聞いたことがないような、新しいと言われるであろうことを考えて、それを誰にも話さないとしても、その考えは存在している。

わたしはここで、届けたい/たくない相手は言葉を知ってる存在だということを前提にしているようだが、樹のほらに秘密をささやく行為は理解できる。石や空に語りかけることも無意味だとはまったく思わない。

とにかく、とてつもないなあ、という感慨がある。良い感じでも悪い感じでもない。


2010-02-16 はんせいの日々

長男がしょっちゅう、イライラして絡んでくる。八つ当たり、言いがかりであることもしばしば。
そのイライラに同調して感情的な口調で正論を言い返すのは、自分でもなんと情けないことだと思う。かといって、意に介さないでいると、相手にされていないのがまた腹立たしいようなのだ。
息子だって、自分の言っていることがどこかおかしいという自覚はあると思う。それでもイライラ怒りが止まらない。容易に、ひとつのことにとらわれて支配されてしまう。そんな状態を自覚して一息ついて遠くを見る、というようなことが、わたしだってろくに出来ないのに、息子にできるわけはないのだから、そばにいる大人のわたしが解いてあげなければならないのだろうが、具体的にどうすればいいのかわからない。せめて、同じ土俵にあがって二人で囚われてしまわないようにすること、しか考えられない。
さいわい、落ち込むにしろ怒るにしろ、息子のマイナス感情は以前よりも長続きせず、すぐに上機嫌になることが多くなってきた。わたしが置いて行かれることもあるくらいだから、とにかく少なくとも、一緒になってぎゃんぎゃん騒ぐことはやめよう・・・


2010-02-07 ナイスツッコミ

長男と同じ保育園卒で隣の小学校に通っているEくんは、とてもよい子である。礼儀正しく、友だちに優しく、無駄に騒いで大人を困らせることはなく、読書が好きでなおかつ、活発で外遊びも大好きときている。
その子の母親とは卒園後もメールのやりとりなどあり、子どもともども休みの日に遊ぶことが、たまにある。
Eくんと長男はどちらも強引さが無いため、二人のみではなかなか盛り上がらない。今日も会ったがだいぶ久しぶりということもあり、二人の間ではほぼ無言のようである。待ち合わせのファミレスでランチをとったのだが、隣同士の席で並んだ二人はそろってピザを注文し、お皿がくると静かに熱心にピザカットに時間をかけ、その後黙々と食していた。
それぞれの妹と弟がぎゃんぎゃん騒ぎ母たちはそれを叱りつつおしゃべりをする中、Eくんは少しは言葉を発していたが、長男がうなづき以外で発した言葉は「マヨコーンピザにする」「外に出たい。暑いから」くらいではなかったか。
場所を我が家に移しても同じだった。はじめこそ、ドラえもんのコミック一冊を二人でくっついて読んでいたが、じきにEくんは別の本、長男はパズルをはじめ、二人の声はほとんど聞こえなかった。そのうち、それぞれが別々に公園に行きたいと言い出したので、二人で行ってこい、と上着を着させ自転車のヘルメットをかぶらせ送り出した。

ドアが閉まった後、車に気をつけるよう念を押そうと後を追ったら、玄関前にすでに二人の姿はないのはいいとして、二台の子供用自転車が残されている。
意味がわからないまま追いかけて角を曲がるとヘルメットをしたまま歩いている二人の背中があった。自転車で行かないの?!との呼びかけに二人して半笑いで振り返った表情は決まりが悪そうに見えた。

歩きでも行ける距離だが自転車で行くと決め込んだわたしにされるがままヘルメットを装着して家を出たはいいが、自転車には相当慣れているが子どもだけでの自転車外出ははじめて(だと後で知った)のEくんと、自転車に乗りはじめてやっと半年という長男との間で、言葉にはされないまま、移動手段は徒歩にするという判断の一致があったが、それならヘルメットは不要であることまでは暗黙の一致ではカバーしきれず、違和感を感じたまま、脱ぐきっかけがないまま歩きだしてしまったのではないだろうか。わたしのツッコミがあってよかったではないか。

無事にノーヘルメットとなり歩いて行った公園ではサッカーで遊んだらしく、帰ってきた後も言葉が少ないのは変わらずだったが、後で聞くと、二人とも楽しかったらしい。


2010-02-02 長男の今日と昨日

風呂上がりに自分でドライヤーで髪をかわかしたと報告してくる。ヘアブラシを片手に。そして鏡の前でヘアスタイルをととのえ、ムースをつけたいとまで言い出す。朝にしろ、と言い含めたがその後もブラシで何やら頭をなでまわしていた。
かっこよくありたい、という気持ちは以前からあり、髪の毛は長い方がいいらしく、とくに前髪は目にかかるくらいがいいらしい。(ガンダム00の主人公のような無造作ヘアがいいらしい。)
かっこつけてどうすんだろ、学校では他の子と言葉をかわすことは少ないのに、と思うが、自意識過剰な子なのだった。

昨日はクラスで席替えがあったそうで、めずらしく自分から報告してきたはいいが、「息苦しい席になった」と言うので思わず笑う。同じ班の子の名前をきくと、元気でにぎやかな子ばかりだった。
息苦しい、とはうまい表現だと思うが、つくづく嫌なら帰ってきて早々に席替えの話はしないだろうし、どこか他人事のような、おもしろそうな言い方でもあったのでほとんど心配はしていないが、興味はあるので席の話をふってみても、もはや実のある話はしてくれないのはいつものこと。 何回かの学校公開日で様子をみた印象からは、たぶん、落ち着きのない子たちの中でひとり黙ってつまらなそうな顔をしていたり、周りで他の子がふざけるとニマニマしたりしているのだろうと思う。


2010-01-30 ボランティア

ハイチに千羽鶴を送ろうという動きがネットで話題だったらしく、聞きかじって、アホか!とひどく呆れたが、やはり批判の声が多かったようで、すると「そんなに目くじら立てて怒らなくても、大迷惑ということはないんだからやらせてあげれば」という感想も出ていて、身近でも「鶴折るような人はどうせ募金もしてるんだから」というナルホドなことを言う人もいた。
その流れで、twitterで一投稿につき一円募金できるサービスを利用しているが、これは募金する度に、一日一度一円募金しただけではいけない、と、従来の募金を行う気になるという余剰効果があると思う。

ボランティア・twitterつながりで、殊能将之のつぶやきで、杉良太郎が「ボランティア活動に理由づけをしたくない。いつでもやめられる状態でいたい」と言っていたことを知った。さらに、

阪神淡路大震災で父親を亡くした女子高生が「福祉関係の仕事につきたいとずっと思っていたが、いま悩んでいる」と言うと、杉良太郎は「被災者はそういう使命感を持ちがちだけど、自分のことを考えるのも大事だよ」と答えた。さすが杉様!

とのこと。かっこいい。杉良太郎がそんな人だったなんて。時代劇と何かデュエットで演歌を歌っている姿しか浮かばない。

杉良太郎の息子も俳優をやっているが、だいぶ久しぶりにドラマで見かけた。妹が、彼を渋谷で見かけて追いかけて握手をしてもらったほどに以前は好きだったので、知らせる。今なぜか杉良太郎!なのだった。


2010-01-29 友人

久しぶりに会った友人に、「明るくなった」と言われたのが嬉しい。
もしかすると以前は同じことを言われても戸惑うだけだったかもしれない。今は明るくなったと言われて嬉しいのだから、たしかに明るくなった。

小学校で他のお母さんに「社交性あるわー」と言われても、慣れないことして頭痛がするくらい全力でがんばってるんだから、と思うばかり。入学前に知り合いが一人もいない場所に移ってきて、がんばりすぎて、広くて浅い関係が出来上がってる。こんなことははじめてで、ぜんぜん嬉しくない。むしろむなしい。

こんな風に「ママ友」に関してはさみしい現状だが、わたしには、わたしなんかと付き合っていてこの人は楽しいんだろうか、いつ飽きられるだろうか、とつねにどこかで心配してしまうくらい、刺激的な友人が何人かいる。そのおかげで、友だちの数が驚くべき少なさでも、自分は恵まれているとよく思う。

そんな友人のうちの一人に肯定的な言葉をもらい挙動が不審にならざるを得ないのだが、明るくなった、というのは素直に受け入れて喜ぶことができるのだった。


2009-08-02 共通の嗜好

長男にマンガを与えたのは自分なので、マンガばっかり読んで!とのび太のママばりに怒っても自業自得なんだが、見た目以上にそっくりな長男と夫に共通する嗜好の一つとして、広告マンガ好き、というものがありわたしには謎である。
長男が一歳にならないうちに、どこから情報を入手しているのか、大手児童向け通信教育の企業からダイレクトメールが届き、8割程度の子が入会しているらしいのだがしないとえんえんと郵便物が届き、そこには必ずといっていいほど、育児に少し行き詰まりを感じている母親が主人公の無名の漫画家による8ページ程度のマンガが入っている。
そのマンガを以前から夫は毎回たのしく読んでいたのだった。そして漫画が読めるようになった長男も同様となった。

しかし小学生になってからは、その郵便物は長男宛に届くようになり、するとその親向けのマンガは不要ということで含まれなくなってしまい、二人には残念なことである。


2009-08-01 暴走し迷走する

自分の子に特定の才能を感じ、その才能で生計を立てる将来を妄想することは、そこでとどまるなら許される。web日記に書くくらいもいいだろう。

長男はもの足りなさを感じることと同じくらい感心することもある。といってもそれは学校の科目のどれにもあてはまらないような、面白い発言やオリジナル折り紙作品等で、将来の妄想には発展しにくいものばかりだった。

それが、画用紙に描かれてコマ割りのマンガを見たときには、本気で驚いた。いままででいちばん才能を感じてしまった。これまでの感心なんて、子どもを驚きながら褒める親戚のおばさんの感心とにたりよったのだったような気さえした。

しかし、そこでわたしは、「漫画家はイヤだ」ととっさに感じたのだった。
なれること前提かよ!というツッコミは、妄想なんだからスルーできるとしても、また、本人には成りたい気持ちなんて皆無だし「もっと描け」といっても応えないくらい執着はないというのに何をおそれているのだという話なのだがそれはおいといて、マンガをこよなく愛し、マンガをバカにする大人に強く反感を感じるくせに、なぜイヤなのか?
それは、苦しそうだから。売れなくても売れてもしんどそう。
ただでさえ「作家」の類は辛そうで、その中でも漫画家はとくにたいへんそう。


2009-07-17 とどろく

次男のウンチがもりもりとのったオムツを前に、長男が「くさい!くささがとどろく!」と言った。
わたしがげらげら笑うとすぐに、「とどろくって何だっけ?何だっけ?」と一緒に笑いながら聞いてきた。
なんとなく知っている言葉をとっさに使ったが、わたしの反応でちょっと違うのだと気づいたのだろう。
さいきんは少なくなったが、こういうことはけっこうある。あって当たり前で、その都度さりげなく訂正したり流したりしてきたが、「とどろく臭さ」は長男の冗談かと思った。

たぶん三歳のころ、夏の暑いときに顔をうちわであおでやると、目をしばたたかせて「まぶしい」と言ったのはよかった。

まだ長男には懐かしい記憶はないと思うのだが「なつかしい」という言葉を、あまり好きではない曲はどういう曲かという話をしているときに使っていた。短調のレトロな曲を形容して「なつかしい」ということなのか、どうなのか、はっきりせずじまい。


2009-07-07 ゴキさま

一年近く前に今の家に越してきて間もないある夜、長男が「あっ、リス!」と声をあげた。玄関の靴箱の陰に見えたという。夫とわたしはすぐに「ネズミか?!」と身構えた。
しかし、再度目の前を横切ったのは、ゴキブリだった。

生まれてからずっとマンション暮らしだった長男はまともにゴキブリを見たことがほとんどないので、素早く動く黒い生きものをリスだと思ってしまうのも無理もなかった。なんて思うわけはなくて、ゴキがリスだなんて素敵すぎるだろ、と思った。
このことを、さっき、今年初のゴキブリをお見かけしたので思い出した。

見かけてしまった。この家にゴキブリがいないわけはないんだけど、ああ、がっかり。
さっそく対策を立てて、せめて次の夏まで断固サヨナラしたいけれど、息子がいるときにもう一度だけなら現れてくれてもいい。