保育園へ息子を迎えにいくと、他の子がちょうど「むっくんがしゃべったー」と言っているのを耳にしたり、「ねえむっくんてなんでお話しないの?」と問われたりする。思わず、声を出して笑ってしまう。これで息子が、通園がさも辛そうで、話せないことを苦にしているならば考えてしまうが、毎日、積極的ではなくても以前のように嫌がることはなく通い、おしゃべりをしないのは「はずかしいんだよ」とそこはまったく恥ずかしそうではなく理由を言うので、気に病んではいない。ただ関心事項ではある。おもしろがってるし、見張ってもいる。
まったくの無言で過ごしているなら、こいつは変わってる子なのかと思ってしまいそうだがそうではなく、少しはおしゃべりする相手がいるようだし、二ヶ月くらい前からは先生によくお話をするようになったとのことである。
遊園地にボウケンジャーのショーを家族で見に行った翌日、迎えにいくと、先生からいきなり「ジェットコースターに乗ったんですか??」と聞かれた。前日に遊園地に行った話をその先生にしたらしい。息子も近くにいたし、その先生も少し珍しいことだからか嬉しそうだったので否定できなかったが、その日は息子が乗り物はのらない、帰るーというので何も乗らずじまいだったのである。ジェットコースターに乗ったことはあるが数ヶ月前のことである。
さいきん、家で問われて話す保育園での出来事の一部に事実とあきらかに異なる点があったことが発覚している。息子によるといつも鬼ごっこの鬼はHくんなのだが、じっさいはまったくそんなことは無かった。
これが、あの、つく必要のない嘘か!思いました。
保育園でのことについて、いつも尋ねてみても気がない風で最低限のことしか話をしてくれないが、こちらにしてみれば何の脈絡も無いところでとつぜん園でのできごとを一所懸命はなしだすことが、たまにある。
このあいだ話しはじめたときには、ふだんあまり耳にしない子たちの名前が出てきた。それが、「シンスケ」「マサト」と、「くん」や「ちゃん」がうしろについていなかったのでちょっとびっくりした。その子たちは年上の子で、息子から話しかけることさえないににちがいないのに、なんとも偉そうに聞こえて、笑ってしまった。
いっしょうけんめい話してるうちにそうなってしまうのかと思ったが、その後また別のときに、「シンスケ」が出てきたので、その子にかぎっては、「シンスケくん」と言うのが息子には長すぎるのだろう、などと思った。それとも夫がいうように、みんなからも「シンスケ」と呼ばれてるいるのだろうか。
ちなみに、保育園での呼称は、親が指定したものがそのまま通っている。たぶん。すくなくともうちはそうだ。まだ子どもたちが独自に呼び名を考えだすことはないと思う。
と、こう書いているうちに心もとなくなった。年中、年長の男の子をみているとずいぶん大きく見え、あだ名なんてたやすく考えだしそうだ。シンスケくんはじっさい何て呼ばれているのか、今度先生にきいてみよう。
とつぜんといえば、
「かえるは、あおむしがちょうちょになったこと知らないんだよ」
と、ほんとうに脈絡なく話しはじめたこともあった。園で読んだ絵本かなにかだろうか。
ひるまずに何とか相手をしているうち、オタマジャクシで水中にいたころに青虫が蝶になってしまったのでカエルはその変化を知らない、あるいは、オタマジャクシのときにたしかに見ていたが、カエルになって忘れてしまった、ということになった。その話は気に入っているようで、寝るとき、いつもとは反対にお話してくれた。四者にかんするお話が、少しずつ内容を変えて繰り返された。
わたしが息子以外の何かを観たり読んだりして、がははと声を出して笑うと、「何がおもしろい?」とほとんどつねにたずねてくる。台所でこぼしたり落としたりして避けんでも無視なのに、笑い声だと、遠くからでも「何がおもしろいの、見せて!」という。夫が息子の玩具的な遊び相手になりながらわたしと話しているとき、話の内容でわたしが笑うと、「何がおもしろい? むっくんがおもしろい?」とつかさず確認してくる。
ほとんどは説明しても分かってもらえないことばかりである。それでもそのまま説明することもあれば、その場ででっちあげることも多い。それでうひょひょと一緒に喜ぶことがよくある。
笑いのツボはおよそはわかっている。子どもらしく、ヘンな顔やポーズしてみせると喜ぶほか、言い間違いというものが好きだ。これは個人的に喜ばしいことなのだった。
わたしは他人の間違いに笑ってしまうことが多い。悪趣味だと反省しでなるべく控えるようにしているのだが、同時に、自分の間違いも他人にとっておもしろいものだと心の底でどうしても信じているものだから、見せびらかし、結果シラけられることがある。
これが息子にはウケるので楽しい。また息子も自分のいい間違いに自分でウケるくらいだから、わたしにつっこまれると喜び、そのいい間違いをくり返して見せる。そういうときは、コイツいい奴、と思ってしまう。
言い間違いをつっこまれると喜ぶが、それ以外のことでからかわれるのは基本的にうけつけないのでやはり、悪趣味な部分は控えないといけない。あんまりほめられすぎるのもダメなので注意。
文字を書き始めている。ま・き・などの横棒は、(きみは何本ひいてもいいと思い込んでないか?)というくらい、4、5本はざらに引いている。書き順をみているとその自由ぶりに感心する。
そういったことを訂正する気もなく見ている。文字って小学一年生がはじめに習うものじゃなかったっけ、と思っているのだけど、幼児向けの教材にも文字学習用のものがあったりするのでよくわからない。もちろん園の他の子も読み書きはできているらしいし。
テレビから英語が流れると「英語だ」ということがある。それが昨日は中国系の言語が流れていて、「これ何の英語?」と聞かれた。外国語だけど英語じゃないよ、というと、「外国語の英語?(外国語っていう英語?)」と返してきた。また、ロボ系の玩具の柄が文字のように見えるようで、二回も「これなんて書いてあるの?」と聞かれた。うーんとそれは字じゃなくて…模様だよ、というと「模様の字?」と返してくる。
尋ねている概念の上位カテゴリに属する言葉をはじめて聞かされても、そのまま受け入れることができないのは無理のない話で、それどころか上下関係を反対に受け取ってしまう。図解でもすればいいのだろうけどいちいちそんなことはしないので、会話だから曖昧なまま終わる。
以前、わたしが文庫本などを読みながら思わず声を出して笑うときには、「なにがおもしろい?」と覗き込んできてもそこには文字しかないので、黙ってひっこんでいた。これがテレビだったり漫画だったりすると、何がおもしろいの?とくいついてくるところだが、早々に意味不明と判断した様子。動画も絵もないところにおもしろいことがあるとは思いもしなかったのではないかと思う。
あと、文字ばかりが書かれたたいていの本はすべて「聖書」だと思っていたようだった。通っている保育園がたまたま教会がやっているところで、定期的に礼拝の時間があるからだ。そんなものを見て笑っているのは不可解だったろうと思う。さいきんは真似をして読もうとするがもちろん続かない。
Before...
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