4年と11ヶ月の年の差があるので、激しくやきもち焼きになることもないだろうとは思っていたが、長男はどうも平均的4歳児よりも幼いところがあるし親べったりの内弁慶なのでわからないぞ、傷つけないように気を配ろうと、妊娠中は思っていた。
ところが、次男が産まれる2、3ヶ月前くらいから長男の言動がしっかりしてきて、少しおとなびてきた。
まずは人見知りがかるくなった。他にもたとえば、それまでにはなかった生意気なことを口にするようになった。何か説明したり注意すると「わかってる」と言い返すとか。意にそぐわないことを親に言われると「えー」といいつつも従うとか。この「えー」はすでに諦めを含んだもので、ちょっとかわいらしく言う。
何より意外に感じ驚いたのは、実家のペットのマルチーズをかわいがっているのを見たときである。それまではその犬に対して、ときどき危険なちょっかいを出しつつ基本的に無関心だったのに、4月に実家に泊まった際、夜、眠りかけているその犬をやさしくなでながら優しい表情で見ていた。
その数日後、今度は2歳の女の子がいる友人の家に連れて行ったらその子にも親しげに、年上らしく接していたのでまたびっくりした。
この変化は個人的には、4月から保育園のクラスに後輩が入ってきたためというのが大きいのではないかと思っているが、あとはわたしのお腹の中に弟がいるという認識のためもあるのかもしれない。
そんな長男を見ていたのだが、入院している産院へ来てはじめて間近で次男をみた際、「だっこしたい」と言い出したのにはまた驚いてしまった。
ちょっと感動した。
産まれてきた弟は小さすぎて赤くてしゃべらないどころか目もろくに開かない、それが長男にはきっと期待はずれで好意的な興味の大半を失うだろうと思っていたのに、「だっこしたい」とは。
また、授乳しているところへ嬉しそうに近づいて覗きこんできたことも意外だった。
人には言えないくらい大きくなるまで授乳していたこともあり、次男への授乳をうらやましがるに違いないと覚悟していたのに、そうではなかったのだ。
幼くみすぎていたということか。
「長男」と書くのも少し違和感がありつつ、じっさい長男なんだしなあ。
妊娠最後の2ヶ月ほどは保育園への長男の送り迎えも風呂も週末の外出も夫に担当してもらい、もともと身体をはった遊びは夫担当で、夜の添い寝以外はわたし抜きでもまったく問題なくなっていた。だから入院中は夜だけが気になったが、それも平気だったとのことで、病室に見舞いに来て帰る際もあっさりしていて、わたしはそりゃあ寂しい気持ちになった。
退院後、長男と久しぶりに間近に接してみると「デカい・・・」と感じ、それは新生児を抱いてばかりいるせいなのだが、一緒に入浴しシャンプーをしてあげたときには無意識に次男の毎日の沐浴の感覚と比較してしまい、頭の大きさ・固さに笑ってしまった。
そして身体のサイズばかりではなく、長男がもう幼児でさえないような気までしてしまい、甘えたりだらけていると以前よりも厳しい口調で注意してしまったりした。
ほんのいっときだが、長男に対してどの程度の厳しさと優しさで接すればいいのかわからなくなってしまったのである。というか、意識しなかったそんなことを、あらためて少しでも考えるというおかしなことになっていた。
それは一時的なことだったが、考えてみれば気持ちが不安定なのは長男ではなく、ホルモンバランスがくずれているらしいわたしの方なのかもしれない。
その後、長男はやはりいろいろと我慢をしているということや、ときどきいじけたりもしているのを見るといじましくて、一度はたまらず泣けてきて息子の前で涙を流してしまったこともあった。夜中に赤ん坊が眠ったので寝室に入り、長男の寝顔を見て (えらいなあかわいそうだなあ) などとしみじみと切なくなるのだが、そんなに熱くなるなら、ふだんからもっともっと優しくしてあげればいいのにと自分に対して思う。
「優しくする」というのはこの場合、イライラしないようにするとか、ちゃんと向き合って付き合う、ということで、たとえば、仮面ライダーの変身やウルトラマンの技を真似するのを家事の手をとめてきちんと見てあげるとか、話をいいかげんに聞き流さないとか、そういうことである。
長男だが、ささいなことでとつぜん怒りながら大泣きしたことがさいきん二度あった。保育園でも家でもいろいろあるんだろう。がまんして自分の中で折り合いをつけたりつけられなかったり。
ちかごろ長男にたいして「かわいそう」とばかり言っているような気がする。
これからいちいち胸をいためていたら身が持たないし、この基本的にくだらなくて残酷な社会にだんだんと参加していくためには、かわいそうだと守ってばかりもいられない。
わたしには愛情のピントがずれているところがある。具体的・即物的な優しさに欠けていて、でもいつも気にして思いやって心配しているから、自分に愛情が少ないなんて自覚は持ちきれないのだ。
嫌なことだがまるで父と同じだ。父は、男親としてそんなでもいいのだろうけど。
数年前に動物園へ行った際、象を見ながら「この哀し気な眼がいいんだよねえ」と言ったわたしに、一緒にいた友人が「象はか哀しいとか感じないじゃん」とつっこみを入れてきた。そりゃそうだけど。象がじっさいに哀しんでいると思っているわけではないけど。
そう思っていたけれど、あらためて考えてみると、象が何かをしずかに憂いている、とどこかで思っていることは否定できなかった。哀しみのような感情を象の表情に読み込んでいるわけで、そのことと、その表情をしている生きものにその感情がわいていると思うことは、切り離せない。
だから、新生児は哀しげな顔をしているとしきりに思うのだがそのときには、新生児はみんなどこか哀しんでいるのだとどこかで感じていることも否定できない。
「新生児微笑」という、嬉しさ楽しさを感じているわけではなく顔面の筋肉の動き具合がちょうど微笑しているようになる現象がうまれたての赤ん坊には見られる。現在では顔を見せてあやすと笑うようになったてこちらは大喜びしているのだけれど、少し前、脈絡なく笑顔になっていたときでも、それを見ると嬉しくなっていた。それは、珍しいものを目撃できたから、という理由だけでは説明しきれないと思う。
また、特定の呼び名はないが、新生児驚愕とでも言いたい表情もある。驚愕とは少々おおげさだが、どうした、何かあった?と聞きたくなる表情。何か考えていてやはり尋ねたくなるような表情もよくしている。こちらをじっとみて、(こいつは・・・)とか何とか思われていると感じさせる表情。
あらためて、赤ん坊は人間の文脈からはみでていてほんとうにおもしろいと思う。
産休に入ってから感じたこと。
その1
産休に入る前には、不合理なことばかりの仕事が嫌で嫌でしかたがなかったけれど、ときどき、休みにはいってしばらくしたらこんな職場でも戻りたいと思うかもしれない 、と冷静ぶって思ったりもした。三年続いたんだし、欲を言えば切りがないし、同僚には恵まれている方だし、家事と育児の毎日には飽きるだろうし。
けれどそんなことはなかった。むしろ、離れてみて、やはりあそこは異常だったと思う。現実の会社なんてどこもあんなもんなのだろうけど、ここは自分の基準で、「異常」といいたい。
その2
以前は家事という仕事の負の面ばかりを感じていた。それは、マイナスをゼロに戻す作業ばかりでプラスの(有形の)成果がほとんど無いということ、しかも毎日延々とそのゼロとマイナスの繰り返しだということ。おおざっぱにいえばこれにつきる。
それがさいきん、いい面もみえてきた。
それは、ほぼ自分ひとりですべてを決めて、出来不出来がすべて自分次第というところ。目標に届かなくても納得できるし、届いたらそれは丸々自分の業績ということで満足感が得やすい。
また、家事にはルーティンワーク以外にも小一時間もあれば済ませられる作業がけっこうあって、ここからもちょこちょこと達成感を得られ、やはり脳にいい。
なんとなくダラダラと些細な雑用をしているだけで、気がついたらかんたんに2,3時間過ぎる。そういうときはやはり虚しく、ちっともすがすがしくない疲労が残る。こうならないよう、できるだけ雑用にも名前を付けリストにして片付けたことが実感できるように、「やった感」を得られるようにする。できるだけ。
よくいわれることだけれど家事という仕事はかなり、手の入れよう抜きように幅がある。外で働いていた頃にはできないことがたくさんあったけれど、それでもなんとか暮らしていける水準はたもてていた。とはいえ、家の中のあちこちに、片付けたいことが手つかずのままあるのは小さなストレッサーであった。
とこんなことを書いていると、専業主婦もいいなあ・・・という考えが帰結しそうなのだけれど、まあそうでもない。家事にあてる時間が長くなって、自分がマメではないのだと思わされることがしょっちゅうである。決めつけてはいけないけどさ・・・
主婦向け雑誌を見たり家事が好きな人と話をしたりすると、感心する。異星人をみている気持ちになる。あの情熱はすごい。
夜、長男がお風呂の中にある水鉄砲を見て、「今日、公園でこの子が水鉄砲持ってた」と言った。
「この子?(って誰だよ)」とわたしが尋ねないうちに、「この子って言っちゃったー」と自分で笑いだした。ここにいないのにねえ、この子じゃないよねえ、とたいそうおかしそうに。
例によって自分の間違いに自分でウケている、というのもおもしろかったし、さらに、少し前まではなんのためらいもなくおかしな風に指示語を使っていたことを思うとおもしろかった。
たとえば、家で、保育園で散歩に行った公園がどこにあるかを尋ねられたときにはいきなり、「こう行ってこっち行って・・・」と説明しはじめたし、同様に家にいるときに保育園での部屋の並びを説明してくれたときにも、前置きなく「こっちがほし組でこっちがそら組」という手振りだった。
場所の説明をする瞬間に、そこへ自分だけ空間移動してしまっているみたいだった。そこはつっこまずにおもしろく聞いていました。
Before...
_ Huey [_______ ___]
_ Emmett [here are the findings]
_ Sonya [С]