2006年08月19日

やや復活。

九月末で三年勤めた会社を退職することになりました。
円満にというか、辞めた後も仕事を請け負う話になっているのだけど。
今後はフリーエンジニアとして、自分にできそうなことをしばらく模索する予定です。
至って楽観的。

退職までは週三日勤務になっています。空いた時間は図書館で勉強などしています。
平和な毎日です。
息子と触れ合う時間も多くなったので、また日々のよしなしごとをここに書き付けたいと思います。

投稿者 mit : 03:41

2006年02月17日

子どもと奥歯さん

奥歯さんと息子のことを同時に想うとき、僕は胸が苦しくなる。
彼女が、子どもという存在についてどのように考えていたかを想い、この世界の奇怪さに呆然としてしまう。

おもいだす。
大学時代の夏の日、キャンパスの日陰に座り込んで雑談をしていたことを。
子どもは好きじゃない、と三人の意見が一致したあの日のことを。

息子がこの世界に生を受けたとき、早く会いたい、と喜んでくれた奥歯さん。
恐竜のぬいぐるみを贈ってくれたこと。
息子を、いい名前だと言ってくれたこと。

生の連鎖を私で断ち切ると宣言した彼女。

幸せな結婚生活の夢を、病院で僕に話してくれた彼女。

投稿者 mit : 01:00

2006年01月27日

見えない表情

先日のエントリに書いたとおり、二階堂奥歯さんは友達としてつきあいやすい人だった。
極端なほどの読書家ぶりや、服装や化粧品にかける情熱や、才気煥発な発言、豊かすぎる感情の起伏、そうしたものと、あの善良さ、他人を尊重する態度が同居していたことが今でも信じられない。
もちろん、僕の知らない彼女がおおぜいいることは分かっている。僕にとっては、たまに会う、最高に変わった良い友達で、それだけで十分すぎるくらいだった。
最後の数ヶ月には、そんな友達としての感触が揺らいでいた。もともとそれほど頻繁にやりとりしていたわけではないにしても、なんとなくよそよそしいというか、上の空といった様子が感じられはじめた。
12月と3月には、自殺未遂して失敗したという彼女からのメールを受けて、妻と一緒に病院や彼女の自宅に見舞いに行った。会いたいというので、子供を連れて行った。
数日経つと、また自殺未遂をしたというふざけたようなメールがあり、本気で腹が立った。
僕は……正直な話、彼女の自殺未遂に慣れつつあった。なにが起こっているのか、よく分かっていなかった。
なんで、それまでにもらったもののお返しをできなかったのだろう。
3月30日に遊びに来てくれたのが、彼女と会った最後の日だった。なぜかそのときビデオ撮影をしていて、みじかい映像が残っている。映像には、一歳にならない息子に絵本を読み聞かせてくれている彼女の姿がある。たしか、乳児向けの絵本の反復する語句が心地よいと、そのあとで言っていた。
人見知りがはじまっていた息子にしては、寄り添っておとなしく聞いていたものだ。しゃがみこんだ彼女の肩に、腕まで置いて。奥歯さんはずっとうつむいているので、表情が見えない。

投稿者 mit : 00:33

2006年01月25日

書籍『八本脚の蝶』

二階堂奥歯さんの遺した「八本脚の蝶」が、書籍になった。
表紙を画像ファイルで見せていただいた時から美しい装丁だと思っていたが、手に届いてみるとチャーミングで力強くて神秘的で切ない。彼女のことを思い出します。

僕にとっての奥歯さんは、他人との距離感をいつも意識している人だった。
もちろんエキセントリックな面は彼女の大きな特徴だと思うけれど、そこには押しつけがましさというものがなかった。仮に押しつけがましい振る舞いをしたとしても、それは大概の場合、ある程度の計算のうえでそうしていたのではないかと思っている。(彼女が計算を外すことがまるでなかったとは言わないが。)
他人の縄張りを荒らすような言葉を、ほとんど無意識に口にする人がなんて多いだろうか。でも、彼女はそのようなことをする人ではなかった。ただ、他人になにか働きかけるということ、その力には、根本的な信頼を持っていたのではないかと思う。そのバランスのうえで、僕にとっては友達としてとてもつきあいやすい人だった。
知り合ってあまり話もしたことがなかったころ、たまたま夜道を二人で歩く機会があった。あまり会話はしなかった。黙って歩いていた。
少し歩いて、奥歯さんは「M君はあまり話さなくてもいいと感じるから気が楽」だと僕に言ってくれた。
その言葉で彼女は、僕の縄張りを侵害しないことを宣言しつつ、友達になってくれようとしたのだったと思う。

Webの「八本脚の蝶」はそれほど読み返したりはしていない。本が手もとにあると、ふとページをめくることができるのがいい。
折々に彼女の考えを聞けて、世界の広がりを実感していたころを思い出す。
会いたいなあ、と自然に思う。

投稿者 mit : 01:06 | コメント (2)

2005年04月23日

新居です(前とほとんど同じ)

レンタルサーバスペースに引っ越しました。
Movable Typeというブログツールを使ってます。
ココログからのログの移行がものすごく簡単だったので、感心しました。
(追記: ココログは、Movable Typeの機能を受け継いだType Padというアプリをベースにしているらしい。もとは同じなんですね。)

ここは育児中心の日記ということで、続けていきます。
コンピュータ、音楽について、また詩のようなものを別の場所でちまちまと書くつもりです。
right foot on the star
こちらもよろしく。

昨日今日と、息子は微熱があったので保育園を休みました。
機嫌は悪くないのだけど。咳がちょっとひどいです。

投稿者 mit : 01:10

2005年03月14日

ぼくを助けてくれる言葉

There's more than one way to do it.

これはぼくの好きな言葉だ。やりかたは一つじゃないってこと。

この言葉は、プログラミング言語Perlのモットーである。
Perlという言語では、色んなスタイルで処理を記述することができる。
例えば、次の二つのコードは同じように動作する。どちらも、ファイルから読み込んだ行のうち、URLが含まれる行だけを表示するという意味だ。

while ($line = <FILE>) { if ($line =~ /http:/) { print $line; } }
while (<FILE>) { print if /http:/; }

後者は、Perlを知らないプログラマが腰を抜かすような省略記法で書かれている。
こういった特徴は、一部のプログラマには悪評高い。人によって違う書き方ができるから、多人数でコーディングしたときスタイルに統一性がなくなって、読みにくくなる。間違いが増える。ということだ。
だけど、Perlはそういった問題についての約束事を押しつけない。

Perlを使って、あなたはやりたいように「正しいこと」をして構わない。 何が「正しい」かを決めるのはあなたなのだ。 (Larry Wall他『プログラミングPerl第3版』オライリー・ジャパン)

There's more than one way to do it. この言葉は、プログラミング以外のほとんどあらゆる場面で解釈しなおして使うことができる。
たとえば仕事や勉強がうまく行かないとき。自分の能力や環境を嘆いて諦めてしまうよりも、「今のはやりかたが悪かっただけなのだ」と思うようにしたほうがいい。別のいい方法を考えればいい。やりかたは一つじゃない、もっといいやりかたが絶対にあるはず、と信じるのだ。
一般に優秀と言われる人は、いいやりかたを探すのが上手な人だとぼくは思う。能力の差なんて、たいていの場合は微々たるものだ。

それから、こんなときだって。
自分が取り返しのつかないような欠陥品だと感じ、人生を生きていく自信がなくなったとき。
自分が誰からも否定されるのではないかと怖くなったとき。
そんなときもこの言葉が助けてくれる。
こんな生きかただってありなんだ。やりかたは一つじゃないんだ。
自分のやりかたを信じるんだ。

投稿者 mit : 01:46 | コメント (3)

2005年03月07日

体調不良

やっと仕事が落ち着いてみると、なんだか体のいたるところが不調を訴えてます。
風邪ぎみなうえに、もともと凝りやすい首と肩が大変なことになっていて、首が左に回らない。
頭の表面近くの神経がひどく敏感になっているようで、眼球を動かすと頭痛がする。
ハーブエキス? をたらした風呂にゆっくり浸かったりして、なんとかよくなってきました。
ほかにもお香をたいたりマッサージなど、いろいろしてくれた家族に感謝です。

息子も数日前から風邪をひいていました。
風邪との関係はよく分からないのですが、喉の入り口に口内炎のようなものができてしまい、ものを飲み食いすると痛かったようです。
明日からは保育園に復帰する予定。

投稿者 mit : 00:03

2005年01月18日

脳のリソースが不足しています

帰りにコンビニに寄ってレジでお金を払うとき、手に持ってた本をカウンターに置いてきてしまった。
先週は出張の帰りに大事なノートPCを駅のベンチに置き忘れて帰宅した。りんかい線、山手線、有楽町線とのりついで、家まで帰ってきてもまだ気づかなかった。しばらくして青ざめたのだけど、電車に乗っているあいだPCを持っていたのかどうか、ちっとも憶えてない。近所のファーストフードをはじめ、考えられる場所にかたっぱしから電話をかけた。りんかい線のホームで、電車に乗る前に手放していたのだった。

どうも最近、「リソースが不足しています」みたいな脳の声が聞こえる。
以前はだいたい30の力で一つの問題に当たっていたのだけど、転職してから、三つの問題をそれぞれ10の力で同時進行させ、20の力で全体を管理するというようなやり方が身についてる。この場合でも三つのタスクは交代で行なわれるので、一度に使う力は10+20=30という感じ。
そういう頭の使い方をしているので、試験勉強で20の力(計算問題とか苦手なので……)を必要とする問題が出ると苦しい。20や30の力の出し方を忘れてしまった。というかそれをすると全体の管理が破綻しそうで、心配でできない。

そんなふうに逡巡してるうちに日常生活がおろそかになるのでした。

投稿者 mit : 00:22

2005年01月12日

試験勉強はじめる

四月第三日曜日に行なわれる、ソフトウェア開発技術者試験の勉強を始めました。
昔で言うところの、第一種情報処理技術者というやつです。
基本情報技術者(昔の二種)を受けたのが二年前。問題を見ると、けっこう出題傾向が重なっているようです。
もうずいぶん忘れてしまったので、またやり直しという感じです。

投稿者 mit : 00:40

2005年01月03日

穏やかな休日

12月は30日まで仕事をしていました。
家でも仕事できるのですが、諸々の事情により雪の降るなかを一人出社しました。
なんとか都合の良いところまで仕上げることができて、今は仕事のことをすっかり忘れ、穏やかな休日を過ごしています。

ページ右側に今読んでいる本をリンクすることにしました。
ずっと同じ本が表示され続けないように頑張ります。

一応今はやり?のアフィリエイトというやつになってます。
ここからリンクで飛んで本を買った人がいると、売り上げの3%がポイントでもらえるらしいです。
もし買いたい本があったらよろしく・・・なんてな。

投稿者 mit : 03:47

2005年01月01日

記憶に残った言葉

先月はあまり書けませんでしたが、またこまめに書いていこうと思います。
よろしくお願いします。

一年間で記憶に残った言葉はなにかと考えてみたのですが、結論としては

どうしてみどり銀行を辞めたんだよ!

ドラマ「僕と彼女と彼女の生きる道」に出てきた大杉漣(主人公の父親役)のセリフでした。
しつこく言うので、なんだかとても面白かったのです。

投稿者 mit : 10:37

2004年11月21日

ひと段落

やれやれひと段落。
金曜日でなんとか仕事が落ち着きました。

木曜日の夜は徹夜でプログラム書きでした。
最近やってきたことの目的は、以前作ったシステムのパフォーマンス向上。
データベースへの膨大な問い合わせと、ちょっと面倒な計算をしているので、実用にならないほど遅かったのです。
そこで速度向上を考えたのですが、でもやっぱり難しくて、これ以上無理ではないかと一時は諦めそうにもなり。
が、思いつく限りの工夫を投げ込み、処理ロジックを大きく変えてなんとかなりました。
やればできるもんです。たぶん以前の100倍以上速くなったはず。
もう誰はばかりなく自分をほめたい。
すごい!
金曜の朝お客さんに見せて、高い評価を得られました。

今日は朝は九時すぎに起きて、昼寝をたっぷりしました。

投稿者 mit : 02:55

2004年11月16日

忙しいです

仕事が忙しいです。
土日も出社で夜12時帰宅。
徹夜じゃないだけまだましではあるけど。

投稿者 mit : 01:25 | コメント (2)

2004年11月03日

小さなものに大きなものが

新聞は東京新聞を取っています。
なぜ他の大手ではないのかというと、消去法と言うか、一つには、勧誘がうるさいところは取ってやらねえという狭い心根のためです。とくに讀賣は取りたくないな。
東京新聞夕刊の一面には「心の語録」という小さな欄があって、色々な著名人らの選で「心の語録」が短い解説とともに掲載されています。
10月29日のその欄に、こんな言葉がありました。

小さなものに大きなものが入る

ずいぶんシンプルな言葉です。ゲームでいうとテトリスみたいです(いや違うかも)。
東京外国語大学教授の渡辺雅司氏の「心の語録」だそうで、

現代ロシアの代表的文化人、リハチョフの言葉。 常識が反転される時、人は自由になれる。 苦しい時、この言葉を考えると、不思議に心が軽くなる

と渡辺氏の解説が付されています。
「常識が反転される時、人は自由になれる」という部分には腑に落ちないところもあります。「自由」って何?
しかしそれとは別に、こういった言葉について、「この言葉を考えると、不思議に心が軽くなる」というのは、一つの生き方だなあと感じるわけです。
ああ、そうやって生きていく方法もあるんだと。
ぼくは大いに参考にしようと思うわけです。

投稿者 mit : 23:42 | コメント (2)

2004年10月30日

納得できない仕事

技術的な部分をチェックしてくれと渡された見積書を前に、頭を抱えています。
仕様も全然固まってないのに。
開発者の手配もできてないのに。
それでこのスケジュールを受けるって……なんか間違ってる。
まともなものができなくてもいいのか?

ぼくは単なるいち開発者ですが、仕事に対して納得のいかない部分が増えてます。
これはステップアップの機会なのか、それとも……。
うーん。

投稿者 mit : 00:50

2004年10月27日

部品のない機械と感情

新潟の震災には多少意識を向けている。
最近読んでいる田口ランディさんのブログに、「意味ではなく、趣味のこと」という文章があった。
(ちなみに、こないだトラックバックしたらコメントしてくれてびっくりした。かなり今さらだけど、インターネットってすげえなあと思った)
この文章はとてもためになった。

私の記憶では、あんがいと足りなかったのは、大人のオムツとか、 生理用ナプキンだった。特に、大人のオムツはメーカー指定が出たりして困った。

こういった体験にもとづくことばは、想像力の暗い部分にさっと光をさしてくれる貴重なものだ。
ぼくは、ほんの少しのことをしてみようかと思っている。

だけど、ぼくはもともとボランティアや福祉に関心のない人間である。
成熟した人格を持っていなくて、他人に対していやになるほど拒絶的で、自分のことを考えるのでいつも精一杯だ。
ぼくはつぎのような文章に惹かれる。

(省略)その最初の感情につかまってしまうと、もうその先に進めなくなる。 感情のままに生きることは大切なことだけれど、感情にも幾重もの層があり、 最初の感情につかまってしまうと、表層のさらに下の感情に至れない。

今から8年前、20歳前後のぼくは、感情を憎み、感情の浮薄さが怖かった。
ぼくは「部品のない機械」になりたかった。なれると思ってた。
感情のことを知らなかったのだ。もっと深い場所には、匂いのような感情や体温のような感情が、漠として広がっているということを知らなかった。
そういう形のない感情に動かされる姿は、部品のない機械とある意味似ている。
でもそれは、生気ある感情だ。
そしてもう一つ、ぼくが学ばなければならなかったことがある。
それは、深い場所にある感情だけが「本当の」感情というわけではないということだ。
表層にあらわれた感情も、同じ本質と強さを持つ感情なのである。
だからランディさんの言うように、「押し殺す必要はないから、見つめていればいい」のだ。

投稿者 mit : 00:23

2004年10月25日

株式会社ごっこ

「子どものころ夢中になったもの」(「トラックバック野郎」今週のお題)

小学四年生ぐらいの頃、友人Aと二人で、廃屋のような場所に秘密の隠れ家を持っていました。
しかしやっていたのは戦隊ごっこでも忍者ごっこでもなく、秘密の株式会社ごっこ。
べつに秘密にしなくて良かろうにと思うのですが、まあ秘密という芳しい響きを重視したわけですね。
Aは社長でぼくは部長でした。
「社長!」
「部長!」
と毎日意味もなく呼び合っていました。
会社でどんなことをするのか全然知らない二人ですが、社長室と部長室を用意したりして楽しんでいました。

ある日、別の友達Bが自分も入れてくれと言ってきたので、我々はどうするか相談しました。
そのときAが名案を思いついたのです。
「そうだ、入社試験やろう!」
そこで、子供向けの雑誌に載ってるようなとんちクイズなど、いっしょうけんめい問題を作成。
おもにAが作ったのですが、ぼくも夢中になって問題を吟味しました。
さて、試験問題ができあがり、我々はBに、入社試験に合格したら入れてあげてもいいと、威厳をもって告げました。
するとあろうことかBのやつ、
「じゃあ入れていらんわ」
などと言うではないですか。
さらに彼は、「なにが会社や、しょーもな!」と捨て台詞を残して去っていきました。
せっかく作った問題が……。
なんとも悲しくむなしく恥ずかしい気持ちになった我々は、まもなくひっそりと会社を閉鎖したのでした。

投稿者 mit : 00:24

2004年10月24日

こうさぎが書いてる

こうさぎが書いてる……!

きょうmitoで、家族へPHSしたかったみたい。
不思議。

なんじゃそりゃ。
穴あき文にブログ内とかの適当な語を入れてるんだな。

「mito」の部分はこうさぎ登録時のユーザ名らしい。
最初本名の苗字になってたので修正しました。

投稿者 mit : 21:50

まだ

新潟はまだ厳しい状況のようですね。
早く被害が収束しますように。
支援活動に行かれる方、がんばってください。

投稿者 mit : 21:43

2004年10月23日

うさぎの「らしんばん」

うさぎを飼うことにしました。右側のスペースに。
「らしんばん」という名前をつけました。
マウスで突っついてみてください。
自動でブログに書き込みしてくれる機能を有効にしてみました。
何を書くのか楽しみだなあ。
なお、Flashがないと見えませんのでご注意。

投稿者 mit : 12:24

2004年10月17日

透明で奇妙な物体2

眼鏡の話の続きですけど、コンタクトも同じかそれ以上に不思議な物体です。
最近コンタクトの人に質問してみた。

コンタクトレンズ(使い捨てを除く)には使用可能な期間ってあるの?
あるとしたら、いつが替え時なの?

鉛筆とか消しゴムって、ずっと使っていてちびてくると自然に行方不明になって、新しいのを買ったりするじゃないですか。
コンタクトはどういうタイミングで交換するのかなというのが疑問だったわけです。
鉛筆なんかとは違って長時間体につけているわけで、壊れたりなくしたりがたまにあるのは分かるけど、それ以外の場合どうなのかなと。

そしたら、コンタクトは使い続けるとだんだん薄くなって終いに使えなくなる、という答えが返ってきた。
薄くなる!
これまたびっくりですよ。
磨り減るんですか。
そう聞くとそうだと言う。薄くなってくるとゴロゴロと違和感が出てくるので、それが替え時なのだと。
ひええ。これって常識なのですか?

その人によると、最近では、コンタクトの長年の使用が眼に悪影響を与えるとも言われてるのだとか。
(詳しいことは分からない。あいまいな話ですみません。)
でも実際どうなのかわかんないですよね。
だってコンタクトって、発明、実用化されてそんなに経ってないでしょう。
数十年の使用なんてまだ誰も経験していないわけで。
あと十年とか二十年したら分かるのかな。こええ。

投稿者 mit : 23:07 | コメント (3)

透明で奇妙な物体

眼鏡って変だ。
と馬鹿みたいなことを言いたいぼくは眼鏡もコンタクトも着けたことない。
ここ数年で急速に視力が落ちてきて、陽がかたむくと物の判別に少し苦労することもあるものの、生まれてからずっと裸眼で生活してきた。実家の家族も奥さんも、みんな視力はそんなに悪くない。
で、あの硬い物体を鼻の上にずっとのっけてる生活というのは、色々とぼくには想像できないことがあるんだろうなあと思う。

こんな光景たまに見るんだけど。
複数人の眼鏡装着者がお互いのブツを交換しあい、おもむろにかけてみては、

あー。
なるほどねー。

と何かを了解した様子で頷きあってる。
あの様子は何だかすごくおもしろい。
たとえおっさんでも子供っぽくなってかわいいし。
加わってみたい。

世界の視え方を交換できるとは!
いや他人の眼鏡をかけたからって、その人の視界がそっくり自分のものになるわけない。
だけど、眼鏡装着者は他人の眼鏡の具合を自らたしかめることで、他人の視え方を経験的に推し量ることができるんだろうなあ、と未経験者のぼくは想像しちゃってる。
優秀な眼鏡利きがいて、ふだんつけてる眼鏡を渡せば生活の細部を色々言い当ててくれたり……とか?

投稿者 mit : 04:16 | コメント (2)

2004年10月07日

にやけ顔

電車のなかでちょっとおもしろいものを見た。
向かいに座った30前後の男性が、電卓を叩いてた。
スーツをしっかり着ているんだけど、かなりの勢いで電卓を叩きながら、
押さえようもなくにやけていた。
新選組(大河)の土方ばりに、口の端が吊り上がって。
そんなにうれしいことって……なんだろう。
すげーもうかったんですか?

投稿者 mit : 01:32 | コメント (2)

2004年10月03日

忙しい休日

昨日今日と、職場関係の飲みで帰宅が12時になった。
ただしぼくは下戸なのでほとんどソフトドリンク。
隅のほうでオレンジジュースを何杯も飲んでるやつ……。

昨日は同僚とアカデミックぽい話で盛り上がった。
あっちは流体力学を専攻してたとかで数学や物理学に詳しく、僕は文系なので哲学とか論理学の話をした。
もう一人、40過ぎで大学院に通ってメディアアートをやっている人がいて、この三人で意外に話がかみ合った。
今日は、奥さんと息子を連れておでんパーティ?に行く。
息子は最初奥さんに貼りついていたけど、一時間ぐらいで気分がほぐれてきたらしく、おでんも食べた。
二人は先に帰ってぼくは残った。
飲み自体はたいしたことなかったけど、40代のシナリオライターの方と一緒の帰り途で、なかなか含蓄深い話が聞けてよかった。

今日の朝は保育園の運動会もあった。
爽やかに晴れてよかった。

なんか色々で疲れた。
それぞれ詳しい話は後で書くかも。

投稿者 mit : 00:26

2004年09月24日

しろうと画像づくり

タイトル画像の文字部分を変えました。
フォントは、こちらのサイトからお借りしてます。

idfont
04

組み合わせのセンス等は不問で・・・おねがいします。

ちなみに写真は、ぼくがイギリス旅行(過去ゆいいつの海外旅行)で撮ったものです。
こちらにもうすこし大きいサイズで載せてます。

投稿者 mit : 06:08 | コメント (2)

2004年09月16日

職業プログラマー

ぼくは文学部出身のプログラマーです。
大学時代は、インターネットやメールにしかPCを使ってなかった。
大学を出てから一年半、公務員をしてました。
コンピュータの勉強を始めたのは公務員をやめてからで、
それを考えると、えせエンジニアもいいところ。
それでもなんとかやっていけてます。給料は安いけど。

Webで使うアプリケーションのかなりの部分は、高度な専門知識がなくても作れます。
例えばメールを自動で飛ばすにしても、そのためのライブラリがあって、プログラマーはそれを利用する方法を知ってればいい。
いちいち送信用のプログラムを一から作る必要はない。
そりゃ、技術的な詳細を理解しているに越したことはないわけですが。

そんなわけで、プログラマーと言ってもピンからキリまでいます。
とくにWeb系に限って言うと、入り口の敷居は低い。
業界に入ってから技術を伸ばすこともできます。
それよりも、プロとしては別の能力が必要です。
例えば、スケジュールを立てて、状況によって調整して、最終的に期限を守るということ。
仕事相手の要求をきちんと理解できるということ。
こういうことができれば、十分やっていけると思います。

まあ、仕事ってそういうもんですね。

投稿者 mit : 07:18

2004年09月13日

ごあいさつ

ためしにしばらくここに書きます。
知ってる人も知らない人もどうぞよろしく。
自分のことを簡単に書いとくと

・男
・来月で27才
・2才2ヶ月の息子がいます
・ソフトウェア技術者のはしくれ
・"There's more than one way to do it"(やり方は一つじゃない)をモットーにしようかな

投稿者 mit : 01:42