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2004年10月30日

納得できない仕事

技術的な部分をチェックしてくれと渡された見積書を前に、頭を抱えています。
仕様も全然固まってないのに。
開発者の手配もできてないのに。
それでこのスケジュールを受けるって……なんか間違ってる。
まともなものができなくてもいいのか?

ぼくは単なるいち開発者ですが、仕事に対して納得のいかない部分が増えてます。
これはステップアップの機会なのか、それとも……。
うーん。

投稿者 mit : 00:50

2004年10月27日

部品のない機械と感情

新潟の震災には多少意識を向けている。
最近読んでいる田口ランディさんのブログに、「意味ではなく、趣味のこと」という文章があった。
(ちなみに、こないだトラックバックしたらコメントしてくれてびっくりした。かなり今さらだけど、インターネットってすげえなあと思った)
この文章はとてもためになった。

私の記憶では、あんがいと足りなかったのは、大人のオムツとか、 生理用ナプキンだった。特に、大人のオムツはメーカー指定が出たりして困った。

こういった体験にもとづくことばは、想像力の暗い部分にさっと光をさしてくれる貴重なものだ。
ぼくは、ほんの少しのことをしてみようかと思っている。

だけど、ぼくはもともとボランティアや福祉に関心のない人間である。
成熟した人格を持っていなくて、他人に対していやになるほど拒絶的で、自分のことを考えるのでいつも精一杯だ。
ぼくはつぎのような文章に惹かれる。

(省略)その最初の感情につかまってしまうと、もうその先に進めなくなる。 感情のままに生きることは大切なことだけれど、感情にも幾重もの層があり、 最初の感情につかまってしまうと、表層のさらに下の感情に至れない。

今から8年前、20歳前後のぼくは、感情を憎み、感情の浮薄さが怖かった。
ぼくは「部品のない機械」になりたかった。なれると思ってた。
感情のことを知らなかったのだ。もっと深い場所には、匂いのような感情や体温のような感情が、漠として広がっているということを知らなかった。
そういう形のない感情に動かされる姿は、部品のない機械とある意味似ている。
でもそれは、生気ある感情だ。
そしてもう一つ、ぼくが学ばなければならなかったことがある。
それは、深い場所にある感情だけが「本当の」感情というわけではないということだ。
表層にあらわれた感情も、同じ本質と強さを持つ感情なのである。
だからランディさんの言うように、「押し殺す必要はないから、見つめていればいい」のだ。

投稿者 mit : 00:23

2004年10月26日

朝の風景

息子は寝起きがよくない。
早い時間に泣きながら目覚めて母親にしがみつき、いつまでもぐずぐず言うこともあるし、反対に彼女が先に出かけた後でも頑固に眠りつづけ、保育園に間に合わなくなることもある。
今日は揺り動かしてもまったく眼が覚めなかった。
いろんな手管をつかう。
電話を耳元で鳴らしてみたり、抱っこして窓の外を見せたり、テレビのNHK教育をつけたりする。
眼が覚めれば楽しいことがいっぱいあるよ、という意思をこめて起こす。
息子の眼が一瞬ひらくけど、すぐにすうっと閉じてしまう。
すやすや。
あー眠るって幸せだよなあ。
二人でゆっくり眠ろうか。
夕方まで眠って……奥さんが仕事から帰ってきたら、驚くだろうな。
呆れながら笑ってくれるかな。
と思うけどがんばって起こして保育園に預け仕事に行く。

最近仕事で帰りがやや遅くなる。10時すぎに帰宅。
ネットで注文しておいた『現代詩手帖』の1992年3月号が届いてた。
中古だけどきれいな状態だった。
金子千佳の「薔薇を閉じる」という小詩集が載っている。
ゆっくり読みたいけど、心が落ち着かない。

投稿者 mit : 00:48

2004年10月25日

株式会社ごっこ

「子どものころ夢中になったもの」(「トラックバック野郎」今週のお題)

小学四年生ぐらいの頃、友人Aと二人で、廃屋のような場所に秘密の隠れ家を持っていました。
しかしやっていたのは戦隊ごっこでも忍者ごっこでもなく、秘密の株式会社ごっこ。
べつに秘密にしなくて良かろうにと思うのですが、まあ秘密という芳しい響きを重視したわけですね。
Aは社長でぼくは部長でした。
「社長!」
「部長!」
と毎日意味もなく呼び合っていました。
会社でどんなことをするのか全然知らない二人ですが、社長室と部長室を用意したりして楽しんでいました。

ある日、別の友達Bが自分も入れてくれと言ってきたので、我々はどうするか相談しました。
そのときAが名案を思いついたのです。
「そうだ、入社試験やろう!」
そこで、子供向けの雑誌に載ってるようなとんちクイズなど、いっしょうけんめい問題を作成。
おもにAが作ったのですが、ぼくも夢中になって問題を吟味しました。
さて、試験問題ができあがり、我々はBに、入社試験に合格したら入れてあげてもいいと、威厳をもって告げました。
するとあろうことかBのやつ、
「じゃあ入れていらんわ」
などと言うではないですか。
さらに彼は、「なにが会社や、しょーもな!」と捨て台詞を残して去っていきました。
せっかく作った問題が……。
なんとも悲しくむなしく恥ずかしい気持ちになった我々は、まもなくひっそりと会社を閉鎖したのでした。

投稿者 mit : 00:24

2004年10月24日

自作曲: Loboney

自作曲をもう一つ公開します。
前回のものと同じく、もし再配布、再利用等される場合はNYSL(煮るなり焼くなり好きにしろライセンス)に従ってください。
4年ぐらい前に作った曲で、「Falling Snowfall」よりパートも少ないし単純なのですが、自分ではなんとなく気に入ってます。
この頃マーティン・デニーやアーサー・ライマンのようなエキゾティックな音楽にはまっていて、そういう感じを出したいなと思って作った憶えがあります。どこがと言われると……ヴィブラフォンやスティールパンがまあちょっとそれっぽいかと。
ドラムは80年代後半のテクノ風な音になってますね。
気に入ってるわりには曲名が作り始めのときにつけた「003」のままだったので、適当に考えてみました。
とくに意味はないです。

Loboney(3.83MB)

投稿者 mit : 22:09

こうさぎが書いてる

こうさぎが書いてる……!

きょうmitoで、家族へPHSしたかったみたい。
不思議。

なんじゃそりゃ。
穴あき文にブログ内とかの適当な語を入れてるんだな。

「mito」の部分はこうさぎ登録時のユーザ名らしい。
最初本名の苗字になってたので修正しました。

投稿者 mit : 21:50

まだ

新潟はまだ厳しい状況のようですね。
早く被害が収束しますように。
支援活動に行かれる方、がんばってください。

投稿者 mit : 21:43

2004年10月23日

自作曲: Falling Snowfall

着メロの話を書いているときに昔作ったMIDIの曲を漁ってみました。
ほとんどはどうしようもない断片なわけですが、ましなものがほんの少しあったので順次MP3にして公開したいと思います。
著作権は放棄しませんが、物好きなかたには再配布、再利用を無断で行なっていただいてかまいません。
煮るなり焼くなり好きにしろライセンス(NYSL)が適用されます。
でもひと言ご連絡いただけると嬉しいかな。
感想などもあればぜひ教えてください。

Falling Snowfall(2.78MB)

タイトルどおり、降りしきる雪のイメージで作りました。
なんとなく映画音楽っぽい気がしなくもないです。
こういうものをぼくは一人で目的もなく作っていました。

投稿者 mit : 23:05

スマイルは連鎖する

田口ランディさんのブログに、ブライアン・ウィルソンの「SMiLE」をもらったとあった
トラックバックしちゃいます。

ブライアンって、生きてたんだ!

生きてますよ!
なんだか知らないけど絶好調ですよ!
また来日するらしいし。

それにしても、この「SMiLE」は人にプレゼントしたくなるアルバムだ。ぼくも最近、職場の人にあげたんだけど。
プレゼントしたくなるのはもちろん音楽が素晴らしいからだけど、他にもわけがある。
このアルバムには色んな背景があるから、60年代にああでこうで……と誰かに語りたくなることは大きな要因だ。
それから、やっぱりタイトルだろう。
なにかを人に贈る時の気持ち……かたちは色々あるだろうけど、その素直な気持ちのエッセンスを「スマイル」というタイトルが代弁してくれるような気がするのだ。
ブライアンもそういう気持ちでこのアルバムを作ったんではないかなあと想像してみる。
だって、「『SMiLE』はあの時代にしか存在しえない」とかなんとか言って伝説のままにしておけば良かったんで。
色々うるさく言われるかもしれないのに、わざわざ今苦労して新しく録り直して、届けてくれたブライアンに感謝したい。

「SMiLE」の代わりに1967年に発表された「Smiley Smile」のジャケ裏に、なんとなく艶めかしい草花と蝶の絵があって、こんな文句が添えられてる。

The Smile That You Send Out Returns to You
- Indian Wisdom

これは読む人の心が映し出される言葉のようだ。

投稿者 mit : 15:09 | コメント (2)

パズル

息子の風邪はすっかり良くなりました。
心配してくれた人たち、ありがとう。

さて、最近彼はジグソーパズルにはまっているようです。
けっこう上手にできるのでびっくりしました。時々ヒスるけど……。
家には救急車や白バイや消防車の写真が入ったパズルがあり、
ばいく! とか言いながらやっています。
保育園ではアンパンマンのパズルをしているそう。

投稿者 mit : 13:56

うさぎの「らしんばん」

うさぎを飼うことにしました。右側のスペースに。
「らしんばん」という名前をつけました。
マウスで突っついてみてください。
自動でブログに書き込みしてくれる機能を有効にしてみました。
何を書くのか楽しみだなあ。
なお、Flashがないと見えませんのでご注意。

投稿者 mit : 12:24

2004年10月21日

夢のような着メロ

大学時代からPHSを使っている。
周囲にいた数人がDDIポケットを使っていたので、合わせてDDIに決めたのだった。今にして思えば、アステルとかNTTにしなくて正解だった。半角カナの「Pメール」を使って、講義中にやりとりしてたものだ。
とくに不満を感じることもなく、今でもそのまま同じ番号で使っている。
最近では、仕事で携帯サイト構築に関わることもあって、携帯の操作が分からないと困ったりする。
でも、DocomoやAUやVodafoneに乗り換えるぐらいなら、「京ぽん」と巷で言われてるAH-K3001Vがいいなと思う。

PHSにも着メロはある。
最初は同時発音一音だけだった。
その頃のぼくの着メロは、はっぴいえんどの「風をあつめて」(アルバム「風街ろまん」)だった。
暇だけはあったから自力でこつこつ入力したのだ。

やがて同時複数発音(二音)ができるようになって、喜び勇んで入力しなおした。
ムーンライダーズの「駅は今、朝の中」。(アルバム「ANIMAL INDEX」)
PCでMIDIの打ち込みを少しやっていたので、最初にMIDIで打ち込んで、それをもとにPHSに入力しなおした。
付き合っていた人(今の奥さん)にPメールで送り、着メロに設定してもらって、悦に入っていた。
別れの曲なのに。

その後しばらく着メロなしで過ごしていて、あるときMIDIデータを着メロに変換するソフトがあることを知った。
これはすごい。
その頃には、DDIのPHSは「H"」という商品名になっていて、同時発音数もかなり増えていた。
ぼくは自作の曲を着メロにした。「蓮の花」というタイトルの素朴な曲だった。
この着メロは、二階堂奥歯さんに送ったら気に入ってくれた。
彼女はボリス・ヴィアンの小説からタイトルをとったのかと聞いたけど、そうじゃなくて、その頃再発されたワールドスタンダードのファーストアルバム(「音楽列車」)に入ってる曲に似てしまったから、そのアルバムのジャケットから取ったのだった。

同じ時期に、ビーチボーイズ「I Just Wasn't Made For These Times」のMIDIデータが、Webから人づてに手に入ったので、ぼくはそれを編集して変換ソフトにかけた。
この頃はたしかまだ著作権がらみの規制が始まったばかりで、何とか色々なMIDIデータが手に入ったんだった。
この曲は、「Pet Sounds」という素晴らしいアルバムに入っている。
そして、ああ、夢のような着メロができた。

あれからずいぶん経ったもんだ。
いつだったかPHSが壊れて、中に入ってた大切なデータが消えてしまった。
苦しかった頃の奥さんとのやりとりや、奥歯さんのメールも。ビーチボーイズの着メロも。
きれいさっぱり。
新しい機種は買ったけど、もちろんデータはもとに戻らなかった。
最近、その「I Just Wasn't Made For These Times」の着メロを思い出して、PCからなんとか探し出し、変換をかけて着メロに設定してみた。

ぼくは今でもまだ音楽が好きだ。

投稿者 mit : 00:04

2004年10月17日

透明で奇妙な物体2

眼鏡の話の続きですけど、コンタクトも同じかそれ以上に不思議な物体です。
最近コンタクトの人に質問してみた。

コンタクトレンズ(使い捨てを除く)には使用可能な期間ってあるの?
あるとしたら、いつが替え時なの?

鉛筆とか消しゴムって、ずっと使っていてちびてくると自然に行方不明になって、新しいのを買ったりするじゃないですか。
コンタクトはどういうタイミングで交換するのかなというのが疑問だったわけです。
鉛筆なんかとは違って長時間体につけているわけで、壊れたりなくしたりがたまにあるのは分かるけど、それ以外の場合どうなのかなと。

そしたら、コンタクトは使い続けるとだんだん薄くなって終いに使えなくなる、という答えが返ってきた。
薄くなる!
これまたびっくりですよ。
磨り減るんですか。
そう聞くとそうだと言う。薄くなってくるとゴロゴロと違和感が出てくるので、それが替え時なのだと。
ひええ。これって常識なのですか?

その人によると、最近では、コンタクトの長年の使用が眼に悪影響を与えるとも言われてるのだとか。
(詳しいことは分からない。あいまいな話ですみません。)
でも実際どうなのかわかんないですよね。
だってコンタクトって、発明、実用化されてそんなに経ってないでしょう。
数十年の使用なんてまだ誰も経験していないわけで。
あと十年とか二十年したら分かるのかな。こええ。

投稿者 mit : 23:07 | コメント (3)

気管支炎

息子は今週ずっと保育園を休んでしまった。
木曜からはどんどん元気がなくなってしまった。熱が出て、食べる量も減った。
かかりつけの病院が水曜日は休みなので、木曜日になって奥さんが連れて行ったら、気管支炎のようだと診断されてきた。
胸に聴診器を当てると、少しそれらしい音がするとかいうことだ。
咳がひどくてかわいそうなのだけど、医者いわく痰がたまるので咳をしたほうがいいそうだ。
旅行で少し無理をさせてしまったことを悔やむ。

今日(土曜)あたりはずいぶん元気になって、アンパンマンの歌を歌ったりしていた。
天気も良かった。
午前中、再び奥さんが自転車で病院に連れて行った。
胸の音は聞こえなくなったらしい。

投稿者 mit : 04:27

透明で奇妙な物体

眼鏡って変だ。
と馬鹿みたいなことを言いたいぼくは眼鏡もコンタクトも着けたことない。
ここ数年で急速に視力が落ちてきて、陽がかたむくと物の判別に少し苦労することもあるものの、生まれてからずっと裸眼で生活してきた。実家の家族も奥さんも、みんな視力はそんなに悪くない。
で、あの硬い物体を鼻の上にずっとのっけてる生活というのは、色々とぼくには想像できないことがあるんだろうなあと思う。

こんな光景たまに見るんだけど。
複数人の眼鏡装着者がお互いのブツを交換しあい、おもむろにかけてみては、

あー。
なるほどねー。

と何かを了解した様子で頷きあってる。
あの様子は何だかすごくおもしろい。
たとえおっさんでも子供っぽくなってかわいいし。
加わってみたい。

世界の視え方を交換できるとは!
いや他人の眼鏡をかけたからって、その人の視界がそっくり自分のものになるわけない。
だけど、眼鏡装着者は他人の眼鏡の具合を自らたしかめることで、他人の視え方を経験的に推し量ることができるんだろうなあ、と未経験者のぼくは想像しちゃってる。
優秀な眼鏡利きがいて、ふだんつけてる眼鏡を渡せば生活の細部を色々言い当ててくれたり……とか?

投稿者 mit : 04:16 | コメント (2)

2004年10月14日

ふたりの休日

少し無理させてしまったかなあ。夕べからいやな咳をしている。
雨が降っているし、大事をとって今日は保育園を休ませた。
ぼくも今日は休み。
正直に言うと、仕事の気分じゃなかったのもある。
後で取り戻せばいいや。
息子の咳は一日続いていたけど、食欲はあるし、おとなしく昼寝もしてくれた。
音の出る絵本を使って遊んだ。本のページをぼくが選び、息子はそのページの曲が鳴るボタンを当てる。
息子はルールをすんなり理解した。
ぼくが、歌からボタンを当てるルールに変えようとすると、それを嫌がった。
また、機関車トーマスのおもちゃの客車部分がなくて、「おーい、ぽっぽー」と呼びながら二人であちこち探した。
部屋を移動して、しばらく探しては、ないねーと確認する。
なんだかずいぶん共同作業ができている。
ずっと暖かくしていたのだけど、夕方になって鼻水が出てきた。
明日は大丈夫だろうか。
奥さんが帰ってくると、息子は甘えはじめた。

投稿者 mit : 00:21

2004年10月13日

雨の鎌倉

家族三人、二泊で鎌倉に行ってきました。
鎌倉は初めてです。
和歌山県出身で上京9年目にもなりますが、いまだに関東の地理はよく分かりません。
鎌倉って、東京から近いのね。
池袋から一時間ちょっとなら、日帰りできるじゃん。
そんな場所に二泊もしてきました。
同じ宿に二泊して、とにかくのんびりぶらぶらしようと。
でも子連れで、道に迷ったりもしたので、結局はそんなにのんびりって感じでもなかったです。

初日は霧雨が降っていました。
鎌倉駅から北鎌倉駅まで歩き、途中、雨に沈む美しい建長寺に立ち寄りました。
二日目はすこし晴れ間がのぞいて、江ノ島の海岸で、息子にかもめという言葉を教えました。
どうやら気に入ったらしく、後になってからすのことも「かもめ」と言う息子。
初めて間近で見る海を、しばらくじっと眺めていました。
最後の日は雨模様。
午前のうちに円覚寺に寄って帰ってきました。
宿では、それなりに豪華な食事と温泉とを味わった三日間でした。

投稿者 mit : 02:13

2004年10月07日

にやけ顔

電車のなかでちょっとおもしろいものを見た。
向かいに座った30前後の男性が、電卓を叩いてた。
スーツをしっかり着ているんだけど、かなりの勢いで電卓を叩きながら、
押さえようもなくにやけていた。
新選組(大河)の土方ばりに、口の端が吊り上がって。
そんなにうれしいことって……なんだろう。
すげーもうかったんですか?

投稿者 mit : 01:32 | コメント (2)

2004年10月03日

SMiLE

ブライアン・ウィルソン、SMiLE(輸入盤)を購入。
ビーチボーイズの伝説のアルバムが38年ごし(後記: 37年のまちがいでした……)の完成を見たってわけで。
聴きながら、自分は夢を見ているのではないかと疑った!
だけど、

ブライアン・ウィルソンの新作アルバム、SMiLE

と断固として言うべき部分もあるように思う。
でも、まだもっと聴きこみたい。

投稿者 mit : 00:36

忙しい休日

昨日今日と、職場関係の飲みで帰宅が12時になった。
ただしぼくは下戸なのでほとんどソフトドリンク。
隅のほうでオレンジジュースを何杯も飲んでるやつ……。

昨日は同僚とアカデミックぽい話で盛り上がった。
あっちは流体力学を専攻してたとかで数学や物理学に詳しく、僕は文系なので哲学とか論理学の話をした。
もう一人、40過ぎで大学院に通ってメディアアートをやっている人がいて、この三人で意外に話がかみ合った。
今日は、奥さんと息子を連れておでんパーティ?に行く。
息子は最初奥さんに貼りついていたけど、一時間ぐらいで気分がほぐれてきたらしく、おでんも食べた。
二人は先に帰ってぼくは残った。
飲み自体はたいしたことなかったけど、40代のシナリオライターの方と一緒の帰り途で、なかなか含蓄深い話が聞けてよかった。

今日の朝は保育園の運動会もあった。
爽やかに晴れてよかった。

なんか色々で疲れた。
それぞれ詳しい話は後で書くかも。

投稿者 mit : 00:26

2004年10月01日

CCCDをもうすこし考える

CCCDの問題を実感してやっと、CDって古い規格なんだなと分かりました。
単にデジタルデータをやりとりするだけの世界なら、プロテクトをかけるのはもうちょい簡単。
でも、CDという本来プロテクトを意識していない規格の上でプロテクトをかけようとすると、どうしてもCCCDみたいな半端なことになってしまう。

コピーされるのが嫌なら、CDにこだわる必要はないんじゃないの?
一応プログラマーと言ってもこの方面にはまったく疎いので、素人の想像。
でも、そう思う。
CDをやめてどうするか。
各種コンピュータやプレイヤー、ポータブルデバイスで動く仮想マシンのような統一規格を作って、その上でしっかりと著作権管理をすればいい。
音楽は直接デジタルデータで配信し、仮想マシン上で管理、再生させるようにすればいい。
(再生ソフトは仮想マシン上で動くものが色々あれば楽しい。)

曽我部さんの話で面白かったことの一つは、「CDには魅力がない」という意見。
確かに、音楽が聴かれているのにCDが売れない理由の一つは、現状出回っているCDという商品にみんなが付加価値を感じていないことなんだろう。
物としての限界はあるとしても、例えば大滝詠一か誰かが言ってたけど、CDをあのサイズ、あのケース主流で売る必然性はあるんだろうか。
もっともっと色々試せば、今よりもっと魅力的な商品にできるかもしれないでしょう。
(ただ小売のための約束事は必要かもしれない。)

マテリアルとしての付加価値はデジタルコピーできないから、パッケージとかだけで勝負するならコピーは問題にならない。
コピーが問題になるのはソフトとしての音楽のほう。
それなら、再生とか配信のソフトウェア規格をもっと工夫しないといけない。
CDという現状魅力のない商品の上にあぐらをかいて、それでいてソフトウェアも工夫せずに、デジタルコピーするなといくらわめいても。
そりゃ無駄である。
やっぱりCDは高いし、簡単にコピーできちゃうんだもん。

要するに、ソフトはソフト、マテリアルはマテリアルとして、ある程度別に考えたほうがいいのでは。
ソフトは安くしっかりと管理をして、マテリアルにはそれなりの付加価値をつけて売ってください。
というのがぼくの意見。
まあ言うのは簡単だけど難しいんでしょうね。結局、過渡期ってことなのかな。

で。
ソニー・ミュージック、複製防止CDを廃止へ
だそうですね。

投稿者 mit : 00:05