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2006年01月27日

見えない表情

先日のエントリに書いたとおり、二階堂奥歯さんは友達としてつきあいやすい人だった。
極端なほどの読書家ぶりや、服装や化粧品にかける情熱や、才気煥発な発言、豊かすぎる感情の起伏、そうしたものと、あの善良さ、他人を尊重する態度が同居していたことが今でも信じられない。
もちろん、僕の知らない彼女がおおぜいいることは分かっている。僕にとっては、たまに会う、最高に変わった良い友達で、それだけで十分すぎるくらいだった。
最後の数ヶ月には、そんな友達としての感触が揺らいでいた。もともとそれほど頻繁にやりとりしていたわけではないにしても、なんとなくよそよそしいというか、上の空といった様子が感じられはじめた。
12月と3月には、自殺未遂して失敗したという彼女からのメールを受けて、妻と一緒に病院や彼女の自宅に見舞いに行った。会いたいというので、子供を連れて行った。
数日経つと、また自殺未遂をしたというふざけたようなメールがあり、本気で腹が立った。
僕は……正直な話、彼女の自殺未遂に慣れつつあった。なにが起こっているのか、よく分かっていなかった。
なんで、それまでにもらったもののお返しをできなかったのだろう。
3月30日に遊びに来てくれたのが、彼女と会った最後の日だった。なぜかそのときビデオ撮影をしていて、みじかい映像が残っている。映像には、一歳にならない息子に絵本を読み聞かせてくれている彼女の姿がある。たしか、乳児向けの絵本の反復する語句が心地よいと、そのあとで言っていた。
人見知りがはじまっていた息子にしては、寄り添っておとなしく聞いていたものだ。しゃがみこんだ彼女の肩に、腕まで置いて。奥歯さんはずっとうつむいているので、表情が見えない。

投稿者 mit : 00:33

2006年01月25日

書籍『八本脚の蝶』

二階堂奥歯さんの遺した「八本脚の蝶」が、書籍になった。
表紙を画像ファイルで見せていただいた時から美しい装丁だと思っていたが、手に届いてみるとチャーミングで力強くて神秘的で切ない。彼女のことを思い出します。

僕にとっての奥歯さんは、他人との距離感をいつも意識している人だった。
もちろんエキセントリックな面は彼女の大きな特徴だと思うけれど、そこには押しつけがましさというものがなかった。仮に押しつけがましい振る舞いをしたとしても、それは大概の場合、ある程度の計算のうえでそうしていたのではないかと思っている。(彼女が計算を外すことがまるでなかったとは言わないが。)
他人の縄張りを荒らすような言葉を、ほとんど無意識に口にする人がなんて多いだろうか。でも、彼女はそのようなことをする人ではなかった。ただ、他人になにか働きかけるということ、その力には、根本的な信頼を持っていたのではないかと思う。そのバランスのうえで、僕にとっては友達としてとてもつきあいやすい人だった。
知り合ってあまり話もしたことがなかったころ、たまたま夜道を二人で歩く機会があった。あまり会話はしなかった。黙って歩いていた。
少し歩いて、奥歯さんは「M君はあまり話さなくてもいいと感じるから気が楽」だと僕に言ってくれた。
その言葉で彼女は、僕の縄張りを侵害しないことを宣言しつつ、友達になってくれようとしたのだったと思う。

Webの「八本脚の蝶」はそれほど読み返したりはしていない。本が手もとにあると、ふとページをめくることができるのがいい。
折々に彼女の考えを聞けて、世界の広がりを実感していたころを思い出す。
会いたいなあ、と自然に思う。

投稿者 mit : 01:06 | コメント (2)